あのクリスマス体験☆

  • 2010.12.23 Thursday
  • 11:59


☆フと気づけば、最後に更新してから2週間もたち!!読者のみなさま、
すみません。でもいつも読んでくださり、本当にありがとう☆

 

街はクリスマス一色。。。今年はどんな冬をお過ごしでしょうか?

クリスマス、と聴くと一番に思い出すのが高校留学の冬です。


9月にペンシルベニアの田舎の高校に入り、英語には自信があったのに
まーーーーったく、ナマ高校生が話すスラングやスピードについていけず...
ガックリ落ち込んでいた時に、ホストマザーから「うちの子達が入ってるから、
kumi もハイスクールの合唱団に入りなさい」と言われ参加しました。


ピアノをやっていたおかげで楽譜は読める!すると。。。

「あら、この東洋人の子、英語はできないけど楽譜は読めるのね」

ということで、友人がポツポツでき始めました。


そして雪がちらほらし始めた11月から、クリスマスに近隣の教会で
歌うために、賛美歌の練習が始まりました。中にはラテン語の歌も
あったけど、そこは適当に口パクでごまかして...

女子は赤いビロードのロングドレス、男子は蝶ネクタイの正装で
スクールバスに乗り込んで、夜、教会のパイプオルガンに合わせて
高い天井に歌声が響きました。その気持ちよかったことと言ったら!

そしてそして。

ハイライトは、何と言ってもNYのロックフェラーセンターの
前でキャロルを歌ったこと。(そう、あのスケートリンクがあって、巨大な
ツリーが飾られるところです)

シンシンと雪が降り、クリスマスショッピングで賑わう街の真ん中で
先生が指揮をはじめ、私たちが歌い始めると...街往く人達が足をとめて
一曲が終わるごとに、拍手をしてくれ、一緒に歌い始める人もいて。

「あああ、これがクリスマスを祝うっていうことなんだ...」

と心が本当に熱く温かくなったのを覚えています。


あの時の仲間とは連絡は途絶えていますが、クリスマスになると
皆なで声を合わせ、目を合わせて歌ったこと、思い出している
人もいるんじゃないかな...世界のどこかで...


知らない人とつながれる、という自信をくれた、大切な体験でした。


Happy Holidays to you ALL...!


-kumi






































高校アメリカ留学ー夏の想い出

  • 2010.08.06 Friday
  • 21:26
この時期になると必ず思い出すことがある。

どうしても美しい音色の英語(に私には聴こえた)を話せるようになりたい!
その一心で、ひとり日本人の全くいないペンシルベニアの田舎に留学した17の時のこと。。。

5ヶ月ほど経って、ようやく高校の授業にも何とかついていけるようになった頃、社会科の先生が、「明日は第二次世界大戦を扱います。ちょうど日本から来ているkumi がいるから、色々と "Hiroshima" のことなど聞かせてもらいましょう」ときた。。。

「えーーー!!! そそそんな、、、」

お恥ずかしい限りだが、慌ててその夜日本の親に電話して情報を得たり、自分の考えをまとめたり....いきなり戦争を語る日本代表、にされてしまったのだから。


そして次の日。

クラスはいつもとは違って、ディスカッションし易いようにとロの字型に座席を変えてあった。ドキドキしながら早めに自分の席につくと。。。

「America is number one!!!」 「America is number one!!!」

私の顔をジイッと見つめ、大声で教壇から叫び続ける男の子が。。。たぶん、黒板にもそう書かれた気がする。

もう、ただ、びっくり。返す言葉もみつからず、じいっとしていた。


授業では、生徒達は私のつたない話に真剣に耳を傾けてくれたし、先生がビミョーな私の存在をリスペクトしながら、とても上手にファリシテートして下さったから、とにかくつつがなく終了


でも、あの男の子の顔は忘れられない。


彼は私のことは覚えているだろうか。


そして今でも同じことを言っているのだろうか、広大な国の片隅で。





『差別と日本人』もう読みましたか?

  • 2009.10.28 Wednesday
  • 16:49
 京都府出身の政治家、野中広務氏と人材育成コンサルタントの辛淑玉氏の対談なのだが、耳にフタをしたくなるような事も小気味よいくらい開示して語り合っているところがすごい。知らなかった、もしくは知らないふりをして来たことも沢山あって。

高校でアメリカ留学したとき。「え、ジャパンから来たの?それどこ?中国大陸だっけ?」とか、当時日本で流行っていた七部丈のパンツをはいていたら「お金がないからフルレンクスを買えなかったの?」と言われた。いつもと違うスクールバスに乗ろうとすると、理由もなく絶対に乗せようとしてくれなかった運転手のおばさん....。

肌の色が違う目の形が違う、それだけで私は何もしていないのにバカにされたり、差別されることってあるんだ.... と傷つきながらもびっくりした事は鮮明に覚えている。「あっ、やられた」と思ったときの居心地の悪さ、ヒヤンと身体が冷えていく感じ...。

でもそれは『されたこと』。

私は『してこなかったか』。


野中氏の懐の深さ、使命を全うしようとする意志の強さ、自分の失敗も認める勇気に感動しつつ、自分ともまた向き合っています。


英語を話すということ、と今度のセミナー

  • 2007.03.02 Friday
  • 18:10
私は17歳のときにアメリカに語学留学というものをし、最初の4ヶ月は泣きのは入った『沈黙期』を過ごしました。その頃は自意識と強迫観念がひどく、誰かがどこかで笑っていると「あ、私のこと、笑ったはる...」と必ず思ったし、その頃日本で流行していた7分丈のパンツを「お金がないから短いのしか買えなかったの〜!?」と男の子達に指差して笑われたときも意味はわかっても言い返す事ができず、「ヘラヘラ〜」と情けなく作り笑い...。とにかく日本人は一人もいない、自分で何とかするしかない状況に自分を放り込んでしまいドウシヨウ...と思うも時すでに遅し。

6ヶ月経つと何とか自分の言いたい事を言える『自己主張期』を迎えました。最初は異様な音楽にしか聞こえなかった英語が少しずつ"聞こえる"ようになったのです。いやあ、人間の順応力ってすごい。それまで私の事をからかったり、「この子、話したい事がないのね」と思っていた同級生達はびーっくり。それまで沈黙を守っていた私が急に「あんた、人からかうのもええ加減にしときっ!」みたいなことを言い返すようになったのだから。ハハハ。

今振り返ると、この沈黙期は私なりに周りのアメリカ人をつぶさに観察し、自分なりに色々取り入れ消化していた時期でした。周りの目を気にせず堂々と自分の意見を言う同級生達は大人に見えたし、あんなことして良いんだ...こんなこともアリ!?みたいな自由な空気の中で、少しずつ自分を表現していく練習をしていた気がします。英語は話すときには真っ先に主語(誰が/何が)をたて、次には動詞(どうするのか)を言わなければならないので、自然と自己表現の訓練になったのかもしれません。ある意味、ごまかしのききにくい言葉なのは確かです。...でかどうか、うちではパートナー(英語が母国語)と喧嘩となると英語に切り替わります(笑)。ハッキリ物を言うことができるし、私にとっては英語は第2カ国語なので微妙な距離があってポンポン言い易い。ははは。

3月の志縁塾のセミナーでは、こういう英語の特徴を使って『自分の思い』をひきだし英語にするワークもいくつかやってみたいと思っています。英語が苦手な方も大歓迎!ご興味のある方はお足お運びくださいませ♪(http://www.shienjuku.com)

Happy Valentine's Day♪

  • 2007.02.12 Monday
  • 15:24
このところ、どこへ行ってもチョコチョコの山ですねー。最近は手作りチョコレートが流行っているのでしょうか、あまりに美味しそうなので箱を手にもっては「誰か作って私に贈ってくれやあらへんかなあ...」と思っては下に置く...(自分で作れっちゅうねん!)。

で思い出したのが、18歳のバレンタイン。といっても別にロマンチックなことは何もなく、留学先のホストファミリーのお母さんが白地に真っ赤なハートが所狭しとプリントされているソックスをプレゼントしてくれたのでした。このとき初めて、アメリカではバレンタインには大切にしている人には男女関係なく、チョコ以外の物もプレゼントしていいんだ、ということ。ちなみにお父さんはお母さんに深紅のバラの花束なぞを贈っていたような...。あ、これ、私の実家の話しではなくホストファミリーの、念のため(わかってるっちゅうねん!)。ちなみにお店にはお菓子屋さんから洋服屋さんまで、ハートのついたありとあらゆるグッズが店頭に並びます。それは楽しくなる風景。

みなさま、あさって14日は優越感や孤独感に浸るのはもったいない、大切に思っている誰かれのことを思う日にしてみませんか?

P.S. 先日疲れていると編み物にすくわれる... と書きました。でももうひとつありました。それはこのコーナーのアクセス解析をチェックすることです(笑)。ああ、今週もこれだけの方々が、何らかの理由で私を思い出し興味をもち読んでくださったんだ... と妄想を膨らませひとりニコニコするのです。
So, Happy Valentine's Day To You All- いつも無言&有言の応援、ありがとう!



"勇気ある二人" ...後日談

  • 2007.01.30 Tuesday
  • 22:35
昨日、クリントン元大統領にモノ申した編集者と親友を泣いて叱った高校生の話しを書きました。

で、この編集者は見事クリントン氏の自伝の編集担当に指名されました。雇ったクリントン氏もなかなか懐が広いなあ...と思いました。そして高校生の女の子たちは次の日には仲良くランチを食べているのを見かけて内心ホッとしたのを覚えています。ケンカの後のディテールは知りませんが、それなりの話し合いを二人でしたのでしょうね。

サンフランシスコの日系ホテルでコンシェルジュとして働いていたときにアメリカ人の上司に言われたことがあります。「日本ではお客様は神様です、と言うらしいけれど、ここアメリカではこちらも人間、あちらも人間。お客様からサービスに対して文句がでても、自分とは切り離して謝ること!」

その時はよくわかりませんでしたが、今思うに、いかなる場合であっても『自分』というものを凛ともって接客にあたりなさい、何も卑下することはない、ということだったのでしょう。でもこの『自分』を強く出しすぎて地雷を踏んでいる同僚もいました...いやはや、何事もさじ加減は大切ですね〜♪

何か話しがつながっているような離れてしまったような...私の感じたアメリカ人の根底に流れている『自分というものを持って生きる姿勢』のお話しということで...。


勇気あるひと言

  • 2007.01.29 Monday
  • 17:57
これは最近アメリカの友人からきいた話。クリントン元大統領が自分の自叙伝の原稿を編集してくれる腕利きの編集者を探していたときのエピソードです。ひとりの編集者が原稿の後半部分はあまり面白くないので「私があなたの編集者になったら、ここもあそこもカットするでしょう」と言ったときに、クリントン氏は「いや、どの部分にも思い入れがある、君が私の下で働くときには云々...」。そこでこの編集者、「いえ、本の編集をはじめたらアナタが私の指示で働くことになるのですよ」とズバッと言いのけたらしい。スゴイ、と私は思いました。どれほどの人が元大統領に向かって、また"大きなニンジン"を前にこう言ってのけられるでしょうか。仕事への自信、プライド、自己尊重、揺るがない価値観.... そんな言葉が頭をよぎりました。

もうひとつ、高校留学時代の話。私は学校のLa Cross というスポーツの部活をやっていました。ある日、大きな大会を前にうちのチームの選手達が二つに別れて練習試合をしていたときのこと。大会で勝ちたい、とみんなとても燃えていたので身内同士の練習も必死。つい外野での応援にも力が入り、ある女の子が得点した相手に向かって「あんたなんか、スティックにひっかかってケガすればいい!」と大声で叫びました。そのときです、その叫んだ子の親友が「ちょっと、いくら試合に勝ちたいからといって、言って良いことと悪いことがある!そんなこと言うなんてサイテー!」と猛烈に怒って泣き出しました。まわりはボー然。このときもスゴイ、と思いました。15歳の高校一年生が親友をきちんと叱れるなんて...嫌われたくないと周りに一生懸命あわせていた私には忘れられない光景です。

自分が言わなければいけないと思ったことはちゃんと言う、私もそういう風に生きたいと思います。

ロックフェラーセンターのクリスマス

  • 2006.12.24 Sunday
  • 19:15
英語が話せなくて苦労していた私が、合唱部と鼓笛隊に入ることによって周囲から認められ友だちもできるようになったという話を前に書きました。これはちょうどそのころのこと、留学して4ヶ月めにクリスマスを迎えました。合唱の先生が、今年はロックフェラーセンターのクリスマスツリーの下で歌うぞ!と言い、みんな大ハリキリでハレルヤコーラスなどを練習しました。

さてはじめて目にするニューヨーク。.....!!!。みなさん、ウッディアレンの映画などでよくみるロックフェラーセンター前のアイススケートリンクと巨大なクリスマスツリーをご存じでしょうか。まさにあれ、です。当時の私はそんなことはな〜んにも知らなかったのですが、雪がしんしんと降るなか天まで届くかと思うほどのツリーのイルミネーションがきらきらとそれは綺麗で、輪になってハレルヤコーラスを歌ったときには鳥肌がたちました。気がつくと私たちのまわりには買い物帰りの人たちが集まっていて、一曲終わるごとに"Oh, wonderful! beautiful!"といって拍手をしてくれました。あのときに歌ったうたは今でも記憶にきざまれています。

クリスマスの由来は聖ニコラスがろうそくの灯でまわりの人をてらす、という思いやりから始まったと聞きました。パーティーもよし、プレゼントあげるもよし、ひとりもよし....。自分に大切なことを大切にする、そんな一日をすごしたいなあと思います。

Merry, Merry Christmas To You All♪

モミの木の香り

  • 2006.11.30 Thursday
  • 14:23
この時期になると思い出すのが、高校留学のときにアメリカで初めて迎えたクリスマス。かなり商業化されてはいるものの、やはり本物のモミの木の香りには感動しました。ダウンジャケットを着込んで、モミの木の畑(?)の中を歩き回って丁度いいサイズの木を探しておじさんに切ってもらう。それを車のトランクや屋根に積み込み家にもって帰ります。ヨイショ、ヨイショとみんなで玄関に運びこむ瞬間にうわあ〜っとモミの木の香りがひろがって、もうすっかり子供の気分に!松葉を短くしたような葉っぱが大量におちるので、カーペットの掃除が大変ですが、それも許せてしまう...。そのあとは家族でああでもない、こうでもない、この飾りは誰々さんがいつくれたの.....と大騒ぎしながらクリスマスツリーに飾りをつけ、最後にお父さんが椅子にのっててっぺんに☆をかざって...。

私のホストファミリーは天井まで届くようなツリーの他に、窓辺のキャビネットの上にのるくらいの小さい木も用意しました。こちらは庭でみつけた木の実やまつぼっくりを飾り、ポップコーンを糸でつなげたものを雪にみたてた素朴で可愛いツリー。

今ふりかえると、何が楽しいってクリスマスを迎える準備が(当時はわけがわからないながらも)一番たのしかった。ツリーの他にはその家に伝わるスペシャルレシピのクッキーやらケーキも順々に焼いていって、缶につめたり...。もっと凝る人は自分でプレゼント用のポプリも作ります。当日の朝にあけるプレゼントも嬉しいけれど、『もうすぐ、もうすぐ...』とみんながワクワクウキウキしている感じが何ともいい。

身体と心が一年の終わりにホコホコ温まる...それが私の留学時代のクリスマスでした。心から私を歓迎してくれたホストファミリーに感謝。



『セサミストリート』に思い出よみがえる

  • 2006.11.06 Monday
  • 16:41
せっかく3歳までアメリカで育った娘に少しでも英語の環境をと『セサミストリートABC』なるDVD を買ってやりました。一緒にみていると、ABCがまだ全部言えない主人公のBaby Bear は'R'の発音が'W'になっている、あ、そうだった英語圏と言えども子供はなかなか"R"の発音ができないんだった...と思い出しました。たとえば知らない男の人をみてこわいとき、"he is scary" の代わりに"he is scawy" となる。"that's right" は"that's wight"というように。これがまた舌足らずの感じでかわいい。

その昔、高三で留学して最初の4ヶ月は英語が異様な音楽にしかきこえず苦労していたときのこと、小さな子供がペラペラ英語を話すのを見てすごくうらやましかったり、かなしくなったりしていた頃にこのことを発見し、少なくとも私は'R'の発音はできる、とひとり自分をなぐさめたのでした。

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