NO と言わずに注意する

  • 2007.06.27 Wednesday
  • 11:58
昨日、友人と話していてひとつ思い出したことがありました。娘がNYの田舎で通っていた幼稚園での体験です。そこは35人くらいの小さいところで、キャシーという涙もろい校長先生がアシスタントの先生数人を使って子供達の保育にあたっていました。彼女自身、幼稚園を経営しながら4児の母、週末にはガールスカウトと教会の活動、夏休みは市民プールのディレクターをやるというスーパーウーマン。

ある時娘のお迎えに行った時のこと、劇に使うようなベニヤで作った木のアーチにぶら下がって遊んでいた女の子がいました。とっさに私が「NO!! 折れたりしたら危ないから、下りなさい」と言おうとしたら、キャシーも気がつき「My dear, remember? 覚えてますか?これで遊ぶときは足はどこっていう約束だった?」と言ったのです。途端にこの女の子は『足=地面に』というルールを思い出したらしく、sorry と謝ってすぐに下りました。そして人前で叱られるという恥もかかずに済んだ...。

隣でこれを見ていた私は唖然。子供を注意する、叱るときにこんな風に肯定的にモノ言うことができるんだ... と。私がすごい、すごい!と連発していると、キャシーは照れながら訓練、訓練、と言いました。最初にルールを明確にして、守れないときはそれをリマインドする。それによって子も大人もかなりのストレスから解放されるはずです。でも彼女は何事もこういう風にしている訳ではなく、本当に子供の身に危険を感じた時や、他の子を傷つけるような行為/言葉があったときには、容赦なくものすごく怖い顔と大きな身振りで「Absolutely, NO!!!!」と言います。すると、普段彼女の口から"NO"の言葉を聞き慣れていない子供には効果テキメンなのです。そして謝ったあと、子供達は必ずキャシーに"I love you!"という言葉と共にキスしてもらっていました。

こういうのをメリハリ、そして愛のあるコミュニケーションという言うのでしょうね。しばらく忘れていたので(苦笑)、やらないよりは良いと言い聞かせつつ、今日からまた自分の訓練を始めようと思っています。

ハイブリッド、風邪をひく

  • 2007.06.10 Sunday
  • 19:00
な、なんじゃ、このタイトル?と思われた方も多かろうと思いますが、これ、私のことです。以下、先日うちのパートナーのY君と交わした会話:

状況:勉強のため、私が講師として話をする姿をDVDで観たあと...

kumi「これってどう見ても、日本人じゃないよね。この手振りとか顔の表情..」
Y 君「君は関西とアメリカのハイブリッドだね」
kumi「え、サラブレッド!?(喜)」
Y 君「いや(きっぱり)、ハイブリッド」
kumi「ふ〜ん、そう言えばそうかもなあ...」

ちなみにハイブリッドを辞書で引いてみると、『雑種、混成物』とある。私は関西とカリフォルニアの混ざり合った雑種なのだ...妙に納得、ひとことも言い返すことができませんでした。セミナーや講演をする時はやはりグッと緊張し、下手に自分を取り繕うこともできなくなる。私の場合、そうした状況下で自然と口をついて出て来るのは関西弁、もしくは英語のセンテンス。関西弁は24まで慣れ親しんだ言葉であり、英語は24から40までの社会生活で徹底的に叩き込まれた言語...関西弁の間(ま)とノリに英語のハイテンションと身振りが加わり、あのような姿になるのか。いやあ〜、お恥ずかしい。

で、雑種ときけば踏まれても踏まれても強い、という感じがありますが、この一週間はめずらしくキツイ風邪をひき、微熱が下がらずにおります。耳がつまって物音が遠くにきこえる。ハイブリッドカーのように、うまくエネルギーの使い分けをしないと!

みなさま、夏風邪にはくれぐれもお気をつけて。




『生かされて』...すごい本を読みました。

  • 2007.06.04 Monday
  • 17:59
私のコーチに薦められ、イマキュレー=イリバギザ著の『生かされて - Left To Tell-』という本を読みました。読み終えた後、混沌と感動がぐるぐる頭の中を巡り、しばらく話す事ができませんでした。

1994年、アフリカ-ルワンダのツチ族とフツ族の部族争いが100日間で100万人殺戮という内戦に発展、国連からも見放された中で必死に逃げ惑い、3ヶ月ものあいだ狭いトイレの中で7人の女性と共に隠れ、奇跡的に家族でひとり助かった女性の実話です。全米でベストセラーにもなりました。日本ではPHP研究所から邦訳が出ています。この本の映画化ではありませんが、同じ内戦を扱った”Hotel Rwanda”はあまりの悲惨さに日本での放映はされなかった...と聞いた事があります。

筆者のイマキュレーは、この辛い体験を通して人を許すことの大切さ、そして具体的なイメージを持って行う"positive thinking"の大切さを身を以て悟ります。『まず信じること。そして受け取る事』- 彼女の場合はそれを神への祈りを通して確信し、実行に移し、最後は自分の家族を殺した相手をも許します。そしてそうする事によって怒りが消え、また人を愛することができた。

私にとっては、-人間の生きる力と崇高な精神-に触れられた貴重な時間でした。忘れられない事のひとつとなりそうです。

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< June 2007 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM