自分を”ジャッジ”するということ
- 2009.09.28 Monday
- 11:44
- コーチング
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コーチをしていると、理想の生活が完全にいつも手に入っているように思われたり、コメントされたりします。ところが私の現実はそんな事ばかりでもなく、ライフワークバランスは大切!と言いながら自分ももがき苦しんでいる...というような事があります。コーチにもコーチが必要な所以でしょうー実際、だれも自分の目で全身を見る事はできないし、自分の手で背中も押せないから。
私はつい最近ある事を決めました。挑戦してみたい勉強があり、この5連休を利用した合宿にノドから手が出るほど参加したいという強い強い想いがあったのです。しかも一度は諦めたこの合宿、ひょんな事から二度目のチャンスが訪れたのです。
私が独身であれば、何のためらいもなく合宿に行っていたでしょう。そして多分ほしいものを手に入れて、ゴキゲンに前へ前へと進んでいたとは簡単に想像のつくこと。ーでも家族のいる今は違う。
どうやったら5日間、家をあける事ができる?あいた穴はどう埋める?もし行かなかったらどうなる?みんながハッピーなかたちは?サポートしてくれる家族にも親にもそれぞれの事情・状況があります。私は2日かけて自分に問い続け、今回の合宿はあきらめて来年の通い
コースで勉強する事に決めました。周りにそう告げるとホッとした声、表情が返ってきたので私もホッとしました。良かった...これでいい。
だがしかし。
1日経ち、2日経ちすると、私の中に犠牲者の気持ちが出てきたのです。〜のために合宿を我慢してあげるんだ、あーあ、という。そしてため息ばかりが出てきて...。ああ、我ながら小さいもんだ。
人のwants や needs を満たすために自分が犠牲に なった、と感じて何のハッピーでしょうか。犠牲と感じなければそれで良いけれど、私の場合は自分の wants のおさまりがついていなかったのです。
『何かを決める』と言う事は、人のためだけではなく”自分のため”にもするもの。そして、その決断の理由を人のせいにして宙ぶらりんにしておくのではなく、ちゃんとケツまで ”自分のもの”にする必要があるという事を、今回学びました。
たぶん数ヶ月後、たかが5日間の合宿で何をああも悩んだんだろう、と思うことでしょう。でも今、ちゃんと納得しておかないと、いつどこで恨み節が出ないとも限りません...そんなのイヤだ〜!
人生、色々なチャレンジがあるものです。
来年1月から勉強を始めるまで、まだまだ学べる事がありそうです。
私には小学生の娘がおり、色々と学校からボランティア募集の声
がかかります。私はその中のひとつ、子供達への本の読み聞かせ
のグループに入っています。
ある日のこと。このグループのミーティングのあと、たまには
お茶でも...と4、5人でカフェに入りました。美味しそうな
ケーキメニューを手にした途端、みんな本のことなどどこへやら....
「わたし、ミルフィーユ食べたい」
「わたしも!」
「でもあれ、生地がぐしゃぐしゃになって食べにくいよ...」
「いいじゃん、デートでもあるまいし」
「.........」(ここで一瞬、シーン。)
その昔、BFを前に苦労した体験がそれぞれあったようで。
3秒くらいかたまったあと、
「ぎゃははは」
「なつかしー」
「またデートしたーい」
となり、妙な居心地悪さの中で結局みんな違うものを注文しました。
ケーキに年齢層があるわけでも、'Miss' の条件があるわけでもない
のに。それとも心の中の”ミルフィーユの引出し”にでもとって
おきたかったのか...。いずれにしても、何だか心に残ったカフェ
体験でした。
時はさかのぼって。15年ぶりに日本での生活を始めた2005年
の夏のこと。すっかり浦島太郎状態だった私は、少しドキドキしな
がら携帯電話を買いに行きました。近づいてきた男性店員に、
「あー、奥さんの年齢層の方にはこのタイプがよく売れています」
と言われびっくりしました。他の機種を手にとっても「あーっと、
それは20代に人気ですね〜」とくる。
奥さんって、年齢層って。私には私なりのシュミがある、という事
をこの人は知らないのだろうか....と思わずこの男性を”しばき”たく
なりました。
で、口をついて出た言葉は
「他の人の事はいいです、自分で決めるから。ほっといてください」
その男性はびっくりして後ずさっていきましたが、何とも言えない
”息苦しさ”が私の中に残りました。
これは日本に限った事ではなく、アメリカでもアジア系だからこう、
子持ちだからこう、といった括りは沢山体験しました。
こういう事って日常茶飯事におこるし、自分にもやってしまいます
よね。外から見える事だけで、人のこと・自分のことを”ジャッジ”
(憶測で判断・決めつけ)して無意識に傷つけてしまうことー。
そんなジャッジに拮抗できるものは『自分なりの価値観』ではない
でしょうか。普段から価値観の洗い出し、価値観磨き、しておき
たいものです。
...はたして甘〜いミルフィーユを楽しんで食べるためにも。