メルマガ108号コラムより『子どもに学ぶ』
- 2013.07.26 Friday
- 15:40
『子どもに学ぶ』
前号で、娘がシアトルでお世話になっていた小学校のことを書きました。
そして今日はそこの子ども達のこともう少し書きたいと思います。
娘はアメリカで生まれて3歳半で日本に移ったため、帰国1ヶ月後には
すっかり英語が抜けて、「プリキュアッ☆!」とアニメキャラクターの
真似があっという間に上手になりました。ははは
それから7年後…シアトルに行く前の彼女には「自分はアメリカで生まれた
アメリカ人なのに英語がちゃんと話せない」というコンプレックスが。
英語のテレビを見させると6〜7割はわかるけれど、読み書きはからっきし、
話すのは苦労して単語をどうやら文章につなげて・・・というレベルでした。
そんな彼女が日本語科のある小学校に行けたのは、アメリカに溶け込んでいく
過程である意味とてもラッキーでした。「ネイティブスピーカーがきた!」と、
シアトル小学校の子ども達は大喜びしてくれたのです。
学校の半分は、歴史やエッセイを書くなどのアメリカ人の先生による授業が
あります。娘がついて行けなくて、もたついていると、どの子もさっと彼女に
正しい日本語とわかり易い英語で、丁寧に教えてくれたのです。
「あなた、これ、わかりますか?」と・・・
この子ども達の様子を見ていたときにフと気づいたことがありました。
普通なら自分の時間を削ってここまで親切には教えたりはしないだろうに、
ここの子ども達は言葉を習得する難しさやもどかしさを分かっているから、
英語で苦労する友達にも忍耐強く、わかるように接することができるんだと。
そして思いました。
これって、大人にも言えることなんじゃないか?
違う部署の人の気持ちがわからずイライラ、違う人種にイライラ、
違う世代にイライラ・・・とついなってしまいがちですが、相手がどんな
背景を持ち、どんな気持ちでそこにいるのかを少し考えるだけで、
随分違う関係性が持てるんじゃないかと。
忙しい毎日を過ごしていると、つい近視眼的になってしまいますよね。
ときにはレンズを引いて、相手の立場にグルッと回ってみる、そして
どんな風景がそこから見えるのか、探ってみてはどうでしょう?
何かを苦労して身につけるというのは、同時に思いやりもくれるもの
なのだな、と思わせてくれた子ども達の話でした。
- メルマガ(抜粋)
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