メルマガ134号コラムより「人は器」
- 2014.09.26 Friday
- 19:02
配信日:September 26, 2014
『人間は器』
あの人は器が大きい...
あの人は器が小さい...
という表現はよく聞きますが、今勉強しているシステム・コーチングの場で、先週またひと味違う
表現を聞きました。
“人は色んな声を持っている器”とー
クラスで、ある組織(システム)が抱えている課題について、部屋を大きく使いながら、
人々の『声』を可能な限り拾いあげるための演習をしました。
ここで詳細をお伝えすることは控えさせていただきますが、
ある課題について強く感じている意見や気持ちを誰かが述べ、次々にそれに反応した人が
色々な声をあげていくというものでした。
それは中にいるともの凄い刺激で、終わったあとはドッと疲れました。
演習のあと、ファシリテーターの方を囲んで「まさか自分の中から、あんな考えや感じ方が
飛び出すとは思いもしなかった」「びっくりした」といった感想を伝えたときに、
人って器なんですよね、
と言われ深く納得した次第。
どんな発言をしてもいいという安心・安全の場があり、想像力を喚起される設定があれば、
本当に豊かな対話って生まれるんだ...と実感した体験でした。
私達は日頃、自分達の周りでおこっている困難や問題に直面したときに、どれほど相手の声、
“声なき声”、その場にある空気(声)に気づき、それらを排除せずに拾い上げ、
『解』に向かって考えを深められているのでしょうか・・・
面倒だから、どうせ分かってもらえないから、と投げやりになったり横着には
なっていないでしょうか。
そしてこれを書きながらフと思いました。
・・・あなたはどんな形・質感の器でありたいですか?
私は音が程よく響く、堅い木からつくられた口の広いサラダボールのようでありたいな...
なんて感じています。
そして、そうあるためには、その場の声/声なき声に気づく訓練を日常的に始めなくては!
難しそうだし大変そうですが、できるところからやろうと思っています。
『人間は器』
あの人は器が大きい...
あの人は器が小さい...
という表現はよく聞きますが、今勉強しているシステム・コーチングの場で、先週またひと味違う
表現を聞きました。
“人は色んな声を持っている器”とー
クラスで、ある組織(システム)が抱えている課題について、部屋を大きく使いながら、
人々の『声』を可能な限り拾いあげるための演習をしました。
ここで詳細をお伝えすることは控えさせていただきますが、
ある課題について強く感じている意見や気持ちを誰かが述べ、次々にそれに反応した人が
色々な声をあげていくというものでした。
それは中にいるともの凄い刺激で、終わったあとはドッと疲れました。
演習のあと、ファシリテーターの方を囲んで「まさか自分の中から、あんな考えや感じ方が
飛び出すとは思いもしなかった」「びっくりした」といった感想を伝えたときに、
人って器なんですよね、
と言われ深く納得した次第。
どんな発言をしてもいいという安心・安全の場があり、想像力を喚起される設定があれば、
本当に豊かな対話って生まれるんだ...と実感した体験でした。
私達は日頃、自分達の周りでおこっている困難や問題に直面したときに、どれほど相手の声、
“声なき声”、その場にある空気(声)に気づき、それらを排除せずに拾い上げ、
『解』に向かって考えを深められているのでしょうか・・・
面倒だから、どうせ分かってもらえないから、と投げやりになったり横着には
なっていないでしょうか。
そしてこれを書きながらフと思いました。
・・・あなたはどんな形・質感の器でありたいですか?
私は音が程よく響く、堅い木からつくられた口の広いサラダボールのようでありたいな...
なんて感じています。
そして、そうあるためには、その場の声/声なき声に気づく訓練を日常的に始めなくては!
難しそうだし大変そうですが、できるところからやろうと思っています。
- メルマガ(抜粋)
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